外大を卒業して東京に行くお話
あまりにも更新してなさすぎて、そろそろ読者もいなくなった頃だろうから久しぶりに更新します。
3月25日
神戸市外国語大学 卒業しました。
今思い返すと長かったようで短かった4年間でした。
ちゃんと言うとあまりにも短すぎた4年生の1年間でした。
はっきり言って最初の大学2年間なんて何の価値もない2年間でした。
毎日朝起きて授業を受けてたまに友達と遊んで家に帰って寝るだけの繰り返し。
控えめに言っても楽しい大学生活とはかけ離れていました。
大学生活のターニングポイント(文字通り折り返し地点は)は3年生の春でした。
高校生の頃に初めて出会ったてその頃から憧れてたゼミに入ったことが大学生活を楽しくさせた一つの大きな要因になります。
そこで今まで出会わなかった"尊敬できる"先輩たちに出会いました。
先輩は英語の勉強も熱心におこない、部活動も真剣におこない、本当にかっこいい先輩でした。
ほぼ同時期に当時の会長にお願い(?)して自治会という団体に所属することになりました。
このゼミと自治会に入ったことが大学生活を充実させた二つの大きな要因です。
尊敬する教授の元で尊敬できる先輩達と初めて出会い、そこで今まで上回生とほとんど関わりのなかった自分に初めて先輩ができました。
ゼミの授業の後にご飯に誘ってくれたり、食堂で会った時はくだらない話に付き合ってくれたり、研究のアドバイスをくれたり。
3年生の時に先輩と出会えてよかったと本気で思えました。
3年生の頃に自治会に入って、会長に任命されこれが大学生活に大きな意味を与えました。
今まで先輩という存在になったことのない人間がいきなり、偉くもないのに偉い立場に立ってしまって、接したことのない後輩たちが他の先輩と同じように先輩として自分を扱ってくれることに困惑していました。
自治会長となり、多くの団体の方と触れ合う中で自分の居場所を大学に感じるようになりました。
食堂に行ったらいつも友達がいて、生協に行けば後輩に「お腹空きました」と集られて、部外者なのに先輩は体育会の飲み会に誘ってくれて。
関わりのほとんどないような後輩たちも「会長、会長」と慕ってくれて。
大学の会長をやって本当に良かったとこの1年間で強く感じました。
仕事が多くてしんどい時もあったけど副会長の先輩や同期や後輩のみんなが支えてくれたから、何の能力もない自分でも一年間やっていけたんだな。
と自治会長を引退してからいつも思っています。
文章には何のまとまりもないけれど。
僕はゼミの先輩たちが大好きです。
僕は話に付き合ってくれる先輩たちが大好きで
僕は喫煙所に毎日誘ってくる後輩が大好きで
僕は最高の二日間を作ってくれた後輩が大好きで
僕はいつもキャッチボールしてくれる後輩が大好きで
僕は呼び出したら何だかんだでくる後輩が大好きで
僕はいつも側で支えてくれた先輩が大好きで
僕は給料入ったからって奢ってくれる先輩が大好きで
僕はツンデレな天使が大好きで
僕は野球選手が大好きな同期が大好きで
僕は一緒に鬼退治に行く同期が大好きで
僕はくだらないAVが大好きな同期が大好きで
僕は気づけば社長になってた同期も大好きで
僕はモンダミンでフェラさせる同期も大好きで
僕はハゲで声の通らない同期も大好きで
僕を飲み会のたびに受け入れてくれる体育会が大好きで
僕は一年間一緒に働いてくれた自治会が大好きで
僕はこんな僕を4年間世話してくれたみんながいる外大が本当に本当に大好きです。
正直な話、卒業して数日がたつけど未だに卒業したくないって気持ちでいっぱいです。
でもまぁ、就職が決まって春から東京に行って仕事が始まるので大学への未練がいっぱいなままではいけないのでそろそろ切り替えていないとダメだなって思いました。
「神戸に帰ってきても居場所はありますよ」と言ってくれる優しい人もいるわけだし、神戸に遊びに帰った時には存分に相手してもらおうと思います。
この大学で過ごした4年間での最後の1年。感謝しても仕切れないぐらいの人に支えられました。
もちろん他の3年間での出会いも大事なものもたくさんありましたが。
大学に通わせてくれた両親をはじめ、本当に数え切れない人に支えられて来ました。
そして無事神戸市外国語大学卒業しました。
ありがとうございました。
パリだかパリスだか知らないけど
英語でパリのことはPariじゃなくてParisなんですけど日本語ではパリスじゃなくてパリっていうんですよね。
先日パリでテロが起きましたね。
すごく悲しいことです。テロに巻き込まれて亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
私の大学のみなさんは国際色の強い人が多くみなさんの関心はParisにあるみたいです。
今日は月曜日ということで大学に行くとこの話題もたくさんありました。
Facebookでもみなさんアイコンをトリコロールカラーに染めてパリ市民の平和となんとかかんとかをなんとかかんとかなんですけど。
それを見た僕の率直な意見は「え、なんで?」でしたね。
確かに今回の事件は悲しい事件です、平和も祈っています。
え、で、なんでパリだけ?なんでフランスだけ?
ISの被害を受けた国ってフランスだけではないですよね。
日本でも後藤さんと湯川さんは殺害されましたし。
世界中でいろんな国がISの被害を受けてるじゃないですか。
フランスが先進国だから?Facebookしてる人が多いから?
そんな理由でフランスだけ特別扱いしているなら悲しいですね。
アイコンをトリコロールカラーに染めても何も変わらないんですよね、実際。
変な話ですけど、東日本大震災の時に外国の方がアイコンを日の丸に染めてたらどう思いますかね。
僕のように性格の悪い人間は「鬱陶しい」と思いますね。
そんなことより早く支援してくれってのが本音になりますね。
まぁトリコロールカラーに染めたい人を否定する気持ちは一切ありませんよ。
私はすごく違和感を覚えました。
というわけで久しぶりの更新でした。
気が向いたらまた更新します。
あれだけ楽しみにしてた学祭のことも気が向いたらまた更新します。
めんどくさいから多分更新しないんですけど。
まぁすごく楽しかったですよ。
というわけで卒論します。
挫折という名の17画の言葉
こんばんわ。
今日は大学のプールでコースロープを外すついでに大学の泳ぎ納めしてきました。
高校時代のベストが28.7秒で全国公の制限タイムが25.5秒だったので入学した頃は本気で四年間体づくりをして水泳をしたら全国公に行けるんじゃないかな?なんて思って水泳部入ったんですけど、水泳部があんまり楽しくなかったのに加えてちょうどGWの強化練習前に仲の良かった友人を病気で失ってそれが辛くて毎日泣いてたような記憶があります。結局肩の痛みにも耐えられなかったので退部したんですけど。
大学の水泳部に入ったことに対しては後悔しかしていません。
それでも、2年生になる時にクラスメイトの水泳経験者達と一緒に水泳サークル立ち上げて、無理のないような練習をしたおかげで27.8秒の記録を残せました。
まともな肩だったらもっとタイム伸ばせたんじゃないかって思うとすごく悔しいです。
タイトルにもありますが、大学での水泳生活はただただ「挫折」です。
自分の精神力の弱さ、身体の限界による挫折です。
ただ、挫折もありましたが水泳サークルの人たちと泳いだり、なんだかんだ言って大学で好きな水泳を続ける環境があってよかったです。
中学1年の時に兄が水泳部に所属していて、先輩とも仲が良かったという理由だけで始めた水泳でした。小学生の頃一応スイミングには通っていましたが平泳ぎができなくて断念した水泳を再開するきっかけはここにありました。
始めた頃は50m1分30秒のサークルすら1本も回れませんでした。
それでも顧問も先輩もかわいがって育ててくれたので6月の時点で初めて飛び込んでタイムを測った時に48秒で50Frを泳ぐことができました。
ほぼ(競泳という意味で)泳げない状態から始まってタイムを聞いた瞬間何か物凄く嬉しかったのは覚えています。
全然速くもなかったんですけどタイムを測ってもらった、1分30秒のサークルすら回れなかった自分が48秒で泳げた、その事実がただただ嬉しかったです。
水泳なんて初心者がいきなり速くなって表彰状とれるような競技ではありませんし、もちろん特別優れた身体能力も特別な練習メニューをしているわけでもないので中学3年の大会で34秒でしか泳ぐことのできない遅いスイマーでした。
高校ではなんの躊躇いもなくまた水泳部に入りました。
なんだかんだ言って部長もさせてもらいました。
2年生の明石市選手権でこれは30秒を切ったなって思って、タッチしてすぐに顔を上げて掲示板をみたら30.12秒だったのはホントに悔しかったです、「あーーーーーーーー!!!もう!!!!」ってめちゃくちゃ大きい声で叫んだのは覚えています。
ちょうど同じ試合で初めて表彰状を手にしました。
水泳生活において最初で最後の1枚の表彰状です。
800mフリーリレーでめちゃくちゃ速い後輩二人とめちゃくちゃ遅い部長の僕と副部長で出たら後輩二人に救われてなんとか3位で入賞しました。
完全に後輩のお陰ですけどまさか自分が表彰状を手に入れることができるなんて思ってもいなかったので本当に嬉しかったです。
高校最後の総体では、当然ながら表彰状どころか決勝に残るわけもなかったんですけど、ベストタイムを大幅に更新できたんですよ。
高2の大会で30秒切れなかったのに28.72秒出せて嬉しかったです。
なんだかんだ近所の高校の仲よかった経験者の友達のタイムも抜かすことできたし中学の同期のメンバーでフリーで一番いいタイム残せましたし。
大学入ってからの水泳の思い出なんて公式戦には一回も出てませんし、サークルで緩くやってただけなんで特に無いというのが悲しいですね。
それでも、この10年水泳をしていて得たものはたくさんありました。もちろん頑健な身体というものは失いましたが。
めちゃくちゃ速い後輩は何度も全国大会に行き本気で応援させてくれました。
中学の水泳部の先輩が高校で生徒会長をしていたから高校で生徒会を始めてそこで大好きな友達もできましたし、その友達がいたから今自分が外大にいて、外大にいけたから今自分が大学の会長として働けてるのであって、会長として働いているから面白くもなかった大学生活がこの半年でとっても濃厚な大学生活に変わったわけですし。
水泳してたから今の自分があるのかなって思うとすごく幸せな気持ちになれます。
高校の最後の総体で他の同期が一人も泣いてないのに引退の挨拶で一人で泣いてたぐらいには一緒に泳いだ仲間が好きです。
大学に入ってからも肩壊してるにも関わらず夏になるたびに「あー、プール入って泳ぎたいな」って思うぐらいには水泳が好きです。
そこから友達とサークル立ち上げるぐらいには水泳が好きです。
友達が忙しくても、サークルが全然活動しなくなっても、一緒に泳いでくれる人探して泳ぐぐらいには水泳が好きです。
夏に大学のプールで泳ぎたいからって理由で、水泳部が休部になって掃除する人がいなくても、サークルがメンバーが減って掃除が人手不足でも、それを自治会の仕事にしてプール掃除するぐらいには水泳が好きです。
(僕の個人的な理由でプール掃除手伝わせてしまった方々ごめんなさい、そしてありがとうございます)
そんな水泳生活でしたが、今日で終わります。
社会人になってからは知りません。
肩の調子がどうにかなればまた再開するかもしれません。
でも一旦終止符を打ちます。
最後に測ったタイムは30.61秒です。
満足しているわけがありません。終わります。
辛いこともたくさんあったけど、それよりも水泳やっててよかったと思えることがあったのでこの約10年はムダな水泳生活じゃなかったです。
みなさんは故障を抱える前にきちんと対処しまそう。
募る想いを書き起こすと2300文字程度になりました、すごいですね。
はよ卒論しろよ。
終わり。
痩せます。
例え世界が滅びようとも
例え世界が滅びようとも、私は卒論を書かなければならない。
いや、世界が滅びたら卒論を書かなくてもいいんじゃないかな。
こんばんわ。
実家に帰ってきて前に帰ってきたの時に忘れたMacBookの充電器を回収したので久しぶりにPCから更新しています。
なぜPCを付けたのかって。
言うまでも無いことですが、私は"卒論"を書かなければいけません。
ではなぜ卒論を書かずにブログを更新しているのかと。
それは単純なことです、私は卒論を書きたくありません。
なぜ人は卒論を書かねば行けないのか。これをテーマに卒論を書きたいぐらいには卒論を書きたくありません。
しかし、なぜ卒論を書かねばいけないのか、この問題は簡単に解決しますね。
それは卒論が必須のゼミに入ったからです。
僕の大学ではゼミによっては専門科目を8単位多く取れば卒論を書かなくても良いゼミもあります。
先日、ゼミ説明会で初めてゼミの話を聞いた読者の外大生の方もいるかもしれませんが卒論について必須かどうかもゼミ選びの中で重要なこととなりますので一つのものさしとして下さい。
まぁ国際関係学科の方は無条件で卒論とかそうじゃないとか。
ところで、ですね。
世間はシルバーウィークの真っ只中。
そしてシルバーウィークが終わると始まるのが後期ですよ。
卒論は書かなければいけないのはいうまでもないのですが、なんと、実は専門科目の単位が、なんと、
2単位足りていないのです。
これは大きな問題でして、集中講義でちゃんと取ろうと想ったのですが、最終日に見事寝坊して欠席して担当の連絡先をもらわなかったので後期も一科目履修する必要があるのです。
困りました。
しかも大学に行くのが火水木なんですが、魅力を感じる授業が無いのですよ。
困りました。
とりあえず水曜日6限目の英語学研究演習を履修しようと思います。
何とかして集中講義の担当と連絡を取れれば困らないのですが…
ということで授業がかぶる人がいれば全力で僕をサポートして下さい。
ということで、卒論書きます。(卒論を書くとは言っていない)
また、更新します。